Red Bull Music Academy Tokyo に訪れた多くの海外メディアのひとつ、米音楽批評サイト『Pitchfork』。彼らの来日時のリクエストが、アカデミーやイベントへの参加とそして、DJ NORIへのインタビューでした。

以下、DJ NORIのインタビューも組み込まれたアカデミーレポート記事がご覧いただけます。

Tokyo Drift by Andy Beta

http://pitchfork.com/features/electric-fling/9566-tokyo-drift/

(*DJ NORIの箇所のみ以下日本語訳)

日本のレコードショップに嫉妬を覚えないことは不可能だ。もしくはあらゆる音楽 −新旧に関わらず- へ対する彼らの文化的な崇拝を羨まずにはいられない。ストリーミング至上主義のアメリカに比べ、日本人はいまだにCDを買う人達がいる。来日中に東京で訪れたCDショップは各階すべてにしっかりとお客さんの姿を見かけるのである。新宿では日本のレコードショップのメッカ、Disk Unionが6店舗以上も構え、且つ各ショップがそれぞれのジャンルをしっかりと網羅している。Tower Recordsでは、今や忘れ去られているであろう70年代アメリカの音楽レーベルの足跡を讃えたミックスCDコーナーさえ設けられていた。
“King of Diggers”として知られるDJ Muroには<Brunswick Records>とマイアミの<T.K. Disco>へのトリビュートセットがあり、そして、DJ NORIがミックスしているのはNYの2大ディスコレーベル<Salsoul>と<West End>である。

Alex From Tokyo曰く”日本のラリー・レヴァン” DJ NORIは、ディープハウスのプロデューサーとして多くの尊敬を集める存在。「NYと東京は文化的にとても密接な関係がある」「80年代、NORIを含む当時のディスコDJやファッショニスタたちはNYを訪れ、伝説的なナイトライフを経験したんだ。」(Alex)

翌日、私はDJ NORIと会うことになった。野球帽を被り、パーカーに迷彩柄のジャケットで現れた彼に、すぐさま日本人の若者が近づき挨拶をする姿を目の当たりにし、DJ NORIの日本の音楽カルチャーにおける多大なる存在を認識した。

DJ NORI 「1983年に初めてNYを訪れました。レコードとDJ、そしてその観客を見ることが目的でした。」当時10代だったDJ NORIは “New York Sound”を経験し、20代前半で<Paradise Garage><the Palladium>、そしてDavid Mancusoの<Loft>へ足繁く通っていた。

彼のお気に入りのクラブは彼が初めて行ったクラブであった。「The Saintはとても特別なゲイクラブでディスコ、ブーギー、ハイエナジーに特化した箱だった。DJはWarren Gluckで、プラネタリウムドームでプロジェクションされるイメージがとてもスペーシーだったのを覚えている。」そしてもうひとつの素晴らしい影響とは、間違いなくPradice GarageでLarry Levanを経験したことだろう。DJ NORIがソウル音楽、そしてDJとダンサーの間に起こる密接な関係性に魅了されたのもその影響が強い。

NORIはまた、各クラブでかかるカッティングエッジなサウンドシステムにも畏敬の念を抱いていた。「日本でのサウンドは特別良いということはないけど、サウンドシステムや照明、そして人々からいつも興奮を得ているんだ。」ダンスカルチャーとは別に東京のナイトライフが NYから受けた最も大きな影響とは、途方もなく素晴らしいサウンドへのこだわりではないかと考えている。(時代の移り変わりとともに、今や東京のクラブは素晴らしいサウンドシステムを備える反面、NYの箱に良質のサウンドシステムが消えてきているのも事実である)

そして彼は私にNY市のダンスクラブやカルチャーに対する制限について尋ねた。私はジュリアーニ元NY市長の風営法の強化について不満を訴えようとしたが、日本が風営法に関するダンス規制の問題を抱えていることにたどり着いた。それはナイトクラブが売春の場として使われていた戦後の時代にまでさかのぼる。

数週間前にそういった抑圧的な制限についてようやく世間で話題となり問題視されるようになれ、そして今NORIは前向きな変化を感じているという。「日本のクラブシーンには明るい未来が待っているよ。」と語った。

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